差し伸べる

助けを呼べばみんな手を差し伸べてくれるのに。

確かにそうだと思うし、そうなのかもしれないけど、やっぱりそれはどこか違うと思う。

悩みを相談したって救われるわけじゃない。
本当にボロボロになって、わめき散らしてそれでも側にいてくれるのは家族か恋人くらいだ。
家族でも過度の混乱は、目をつむりたがる。
それが分かるから、ふとした瞬間に激しい孤独を感じる。


本当にドン底になった時、なにも見えなくなってしまうと言うが、なにか逆にクリアになった感じがする。

それが諦めによるものなのかどうかは分からないけど。

あの場所は

かなり久しぶりの日記。

なるべく書こうと思い全然書かなかった。

その久しぶりの間に大きなことがあって、昔憂鬱だと思っていたあの時期が幸せだったと思えるほど。


友達が死んだ時、俺は泣かない気がする

ずっとそう思っていたし、言っていたの
だけど現実はそんなものではなかった。
死というものが、今はまだ遠いものだと感じていたし。いなくなるなんて事考えなかったから。

スタジオに入って、みんなでご飯を食べて解散して。

近くのビレバン寄ったらまた追立さんに会って、漫画の話をダラダラした。

大学の頃から、なにも変わってない。同んなじように日々の不安の事を話したり。


じゃあ、また
じゃあ、また

お互い同じことを言って別れた。
それが最後にかわした言葉だった。


来週また同じように。
一年後もまた同じように。

そんなことを思っていた。


バンドメンバーがとても好きだった。
メンバーの誰が好きとかじゃなくて、四人でいる空気が好きだった。


音楽はシリアスなものを作っていたけど、メンバーのゆるくて、くだらない会話が好きだった。

まだ、もう戻ることはないっていうのはしっくりこない。


呼べばくるんじゃないかって今でも思う。



メンバーといて幸せだなって毎日思ってたわけじゃない。

でも、もう消えてしまったあの空間は間違いなく幸せで優しい空間でした。


もう戻れないあの場所は本当に本当に大切な場所でした。

それだけ。

2014年一回しかブログ更新してなかったみたい。
これじゃやる意味もないな。

2015年になって、新年でハッピーかというとそんな気持ちなど少しもない。
心を覆っているのは、湿った雨雲ばかりでお酒を飲んで心が消えて行くのをひたすら待つしかないという感じ。

自殺したいとか、そういう気持ちではないけれど、すべて消えて欲しいという意味では変わらないのかもしれない。

自殺したいひとはなんでそう感じるのだろう。

悲しみに耐えられないから?
人を傷つけるのが怖いから?
なにもない毎日が怖いから?

よくわからないけど、今はなにも感じたくなくて、それだけどそんなわけにはいかなくて。

一人自分の部屋で布団の中にいると、時々夢を見て、現実ではない今に少しだけ救われる。
そんな感じ。

すこし前は少しだけ答えがわかった気がしてたんですが、今は勘違いだったと気づくだけ。

人のせいにしてもなにも解決はしない。
自分を肯定する気もない。

とりあえず今はまたお酒を飲んで、考えるのをやめる。

今できるのはそれだけ。

ない

全て終わったことなのだから、なにがあろうと生きると決めたならもう苦しくて生きるしかないじゃないか。

生きるなら、世界を好きになる。
それ意外に方法なんてない。

選択肢なんてはじめからない。

分からないまま

どうせ生きているなら、どうせ辛いなら、悲しいことばかりなら、幸せが壊れるのなら、憎しみに染まるのなら、笑えなくなるのなら。

嘘をつくのなら。

なにもかも分からない。
たぶんずっと。

遺影

人が亡くなると遺影の写真を選ぶ。

その人が素敵な顔をしている写真を。
大切な人の写真を探す。
記憶を辿りながら、思い出を感じながら。
なんて悲しい作業なんだろう。


そんな話を聞いていたら悲しくて泣いてしまった。


時々深く交流がない人のお葬式に出ることがある。

そこにある遺影は大切な思い出の中から選ばれた一枚。

大切な一枚。

風邪をひいて一週間ずっと熱が上がったり、ひいたりを繰り返している。

体が弱ると心も同様に元気を失う。
ただ、心が弱ると今まで気づかなかったことに気づくようになる。

実家で暮らしている時は近すぎて感じる事が出来なかったのだけど誰かの料理する音ってこんな優しいものなのかと思った。

昨日の晩また熱が上がって頭痛がする中、うっすら目を開けてコトコト鍋が煮える音、フライパンのジューってなる音。

とても優しい音だなと思った。
少しずつ小さくても大切な事に気がつければもっと優しくなれるような気がしました。

葛湯を飲んであったかくして眠ります。